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木谷宜弘資料館

木谷宜弘プロフィール

学生時代

始まりは中学3年時の童話の語り部

第二次世界大戦時に空襲を受けた徳島市は、昭和22(1947)年になっても街のところどころに瓦礫の山が積まれ、点在する家屋の多くはトタン屋根のバラック住宅でした。夕方近くになるとお腹を空かせた子どもたち(心の迷い子たち)が十数人空き地に集まってきます。遊具もなくぼんやりとしている子どもたちに、中学3年生の木谷少年は「お兄ちゃんがお話しをしてあげようか」と童話を語り始めました。

当時話し下手から対話恐怖症にかかっていた木谷少年にとって勇気ある行動でした。子どもたちは目を輝かせて話を聞き、「お兄ちゃん、明日もね」とねだりました。木谷先生にとって最初のボランティア活動「童話の語り部」はこうしてスタートしました。

徳島県童話研究会に入会して県内各地を口演して回る一方、近所の子どもたちとは「やまびこ会」という子ども会を作り、交流を深めました。子どもたちの手による新聞「山彦新聞」の発行、登山や海水浴、俳句会、人形劇などプログラムは実に多彩でした。「こんな児童館を創りたい」それが青春時代の夢だったのです。

大学ではセツルメント活動に取り組む

活動を続けながらも次第に子どもの心理に関心を持つようになり、「児童心理」や「青少年教育」の専門書を読みあさり、働きながら夜間高校を卒業したのち大阪府立社会事業大学(現大阪府立大学)へ進みます。日本におけるセツルメント事業(大学教授や宗教家などが貧民街に定住し、人格的接触を通じて生活改善と自立向上をめざす社会改良運動)の創始者の一人として著名な石井十次記念社会館を拠点に、スラム化したアパート群でのセツルメント活動に従事。自転車の荷台にミカン箱を置いての紙芝居や住民生活調査などを行いました。

とにかく子どもたちの笑顔を見るのが楽しくて仲間の学生たちと通い続けました。卒業後その街でソーシャルワーカーとして働くことが決まっていましたが、家庭の事情により帰郷することになります。