徳島の福祉のあゆみ
1946年 子供民生委員制度創設
友達みんなを幸福にしよう。子供たちは こんなにも優しく、たくましかった。
戦後の混乱期にあった徳島では、戦災孤児や不良少年も多く、子どもたちの生活もすさむ一方でした。
1946(昭和21)年、徳島県社会福祉協議会の前身のひとつである県民生委員連絡事務局に勤務していた平岡国市氏は、そんな子どもたちを憂い、子どもと平和を結びつけた運動である「子ども民生委員活動」を提唱しました。
この活動はたちまち県内に広がり、小・中学校、そして各地域を母体とする地域子供民生会が組織されました。
子供民生委員活動の目標である「すべてのお友達を幸福にしましょう」という精神のもと、子どもたちは近所の草刈りや掃除をしたり、障がい児をおんぶして通学するなど、さまざまな活動が行われました。
- お友達は皆仲よく致しましょう。
- 困った人は助けましょう。
- 先生の教えは必ず守りましょう。
- 丈夫で勉強しましょう。働きましょう。
- 世の中のためになる人になりましょう。
1951年 徳島県社会福祉協議会設立
「地域をよくしたい」というみんなの思いを カタチにしていきましょう。
1951(昭和26)年3月、社会福祉事業法が制定されました。
この法律により、社会福祉協議会の活動が明文化され、全国の都道府県で一斉に社会福祉協議会が設立されていきました。
徳島県社会福祉協議会は10月5日の創立総会を経て、設立が決定。県内でそれぞれに活動していた各種の社会福祉事業団体が統合することで、社会福祉活動は大きく前進していきました。
※徳島県社協は1955(昭和30)年に社会福祉法人として認可されました。
社会福祉事業法に明文化された社協が取り組む事業のポイントは次の通りでした。
- 社会福祉を目的とする事業に関する調査
- 社会福祉事業の総合的企画
- 連絡、調整および助成
- 普及および宣伝
- 社会福祉事業の健全な発達を図るために必要な事業
- 住民の社会福祉活動参加の援助
- 市町村社協の連絡および事業の調整
社会福祉事業法は2000年の一部改正により社会福祉法として公布され、「個人の自立支援」
「利用者による選択の尊重」「サービスの効率化」などの新しい社会福祉の方向性が示されました。
社協の役割を一言で説明すると「福祉のまちづくり」です。住民の皆さんに参加してもらうことを基本として、行政や様々な関係機関、団体が協働して地域福祉を進めるための推進役です。
1962年 善意銀行開設
こんなことで困っている人たちがいる。 そうだ!適任者がいた。彼らにお願いしよう。
昭和30年代に入り、ボランティア活動が盛り上がりを見せ始めていました。しかし善意をどうやって必要な人に提供するか、その方法が確立されていませんでした。
そこで県社協はボランティア活動の窓口を設けることになります。それが徳島で生まれた「善意銀行」です。
県社協が本店となり、市町村社協には支店が置かれ、善意を必要としている人や団体に適切なボランティア活動を提供する「善意の受給調整」が行われました。
現在、善意銀行の業務は「徳島ボランティア推進センター」に受け継がれています。
1995年 阪神・淡路大震災から復興ボランティア活動支援が始まる
1995年 阪神・淡路大震災から復興ボランティア活動支援が始まる
1995年(平成7年1月17日)に発生した阪神・淡路大震災による被災地では、数カ所にボランティアベースキャンプが設置されました。徳島県社協は四国四県の幹事県となり、兵庫県一宮町に「淡路島ボランティアベースキャンプ」を開設。全国から集まった1,200名余りのボランティアを受け入れ、派遣の調整を行うなど、2月2日から27日までの約1ヶ月間、被災地救援および支援活動を展開しました。
被災者の生活を把握し、ニーズに対応したボランティア活動を行うなど、善意銀行以来培ってきた需給の調整機能が効果的に発揮されました。
2004年(平成16年)には、台風10号により土砂災害を受けた徳島県上那賀町(現・那賀町)に災害救援ボランティアセンターを立ち上げたほか、同年の新潟中越沖地震に県社協職員を派遣。さらに2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災の被災地支援のため、宮城県に県社協職員ならびに市町村社協職員を派遣し、支援活動に従事しました。