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木谷宜弘資料館

木谷宜弘プロフィール

大学教授・共生の里時代

ボランティア実践の拡がり

新しい潮流を起こすためには人づくりが大切であると、昭和60(1985)年、55歳の時に淑徳短期大学社会福祉学科教授として大学教育の場に身を転じます。社会福祉方法論を教えつつ、「ボランティア論」を正課科目として提案したが認められず、課外活動による実績づくりから始めました。

ボランティア活動参加学生の変容と地域社会からの反応がポイントになると判断し、夏期休暇にゼミの学生全員を引率して、障がい児を含む子どもたちとの「ボランティアふれあいの旅」を実施します。その結果は木谷先生の想像以上のものとなり、学生たちは日常生活でもボランティア活動を体験したいとゼミ以外の学生も誘い、ボランティアグループ「淑徳VYS」を作ります。

やがて、全学生の30%がボランティアとして地域福祉活動の実践に参加し(のちに80%になる)、この実績により就任7年目にしてボランティアに関する3つの正課科目「ボランティア論」「ボランティアワーク」「ボランティアワーク指導」が採用されることとなります。さらに、学内にボランティア情報室を開設し、専任コーディネーターも配置。理論の講義だけでなく、実践を先行させた体験的学習により、学生たちは人生の目的意識と社会貢献への意識を持ってたくましく成長していきました。その後、全国の大学にボランティア授業の科目の導入や大学内に大学ボランティアセンターの設置が広がっていきました。

共生の里で3年間奮闘

この間、昭和63年には「四国共生の里」づくりに着手しています。「共生」とは相互実現であり、他者実現がなければ自己実現は達成されないという考え方です。障がいを持っていても一般の人たちと共に当たり前に生活できる社会に変革しようとするノーマライゼーションの理念とも共通します。

「ボランティアふれあいの旅」によって成長していく若者に触れ、この旅がいつでも誰でも体験したい時にできる場があればと思っていた矢先、共生の里づくり構想に共鳴した企業(株式会社ダスキン)が香川県綾上町の山村に所有する1万平方メートルの土地、建物、維持運営費等を委託してくれることとなりました。

目指したのは自然の中で障がい者と共に生活し、働き楽しむ福祉の里山づくりでした。教壇に立つ傍ら東京から足を運び、月に一度4日間と長期休暇のほとんどを費やして精力的に活動。「共生の里」は3年間という短い期間であったため本格的な里づくりの運営までには至りませんでしたが、障がい者を含めたスタッフ5名と延べ100余名のボランティア、年間1200余名の利用者を迎えての多彩なプログラムやイベントが実施され、自閉症児や重度障がい者、心を病む少年少女たちの短期共生生活の里として成果を上げました。

運営面を含めた「共生」の理念を実現する困難に立ち向かいながら、ひたむきに考え行動する若者たちの素晴らしさと、「共生」の可能性を実感した3年間でした。特筆すべきはNPO(特定非営利活動促進)法が制定される10年前に「共生の里」を設立経営していたことです。

人材育成はさらに続く

その後、平成7(1995)年、広島県の福山平成大学経営福祉学科教授に就任。これからの福祉にはマネジメント能力が必要であり、4年間というスパンで経営能力を備えたボランティアコーディネーターを育成したいという思いがあったからです。ここでも就任3年目にボランティア情報室を作り、専任のコーディネーターを置きました。「ボランティア活動論」と「ボランティアコーディネート論」を科目として新設し、ボランティア教育環境の整備を推進します。

大学教育においてボランティア経験を通じた人間形成を図り、ボランティアコーディネーターなどの専門職を養成し、卒業後は社協やNPO、大学、病院などでコーディネーターとして手腕を発揮してもらう。木谷先生は理論学習と平行してフィールドワークとワークショップの充実を図り、人材育成に全力を傾注しました。