このページの本文へ

ここから本文

木谷宜弘資料館

木谷宜弘プロフィール

略年譜

年譜で見る木谷先生の歩み

−1929(昭和4)年
徳島市に生まれる。
−1938(昭和13)年 9歳
小学校3年生で生光学園創設者、故美馬昇先生と出逢い、6年間先生のボランタリズムに触れ、薫陶を受ける。
−1943(昭和18)年 14歳
徳島県商業学校入学。2年後終戦。空爆によりわが家全焼。中学3年のとき、対話恐怖症にかかり、近所の小学生たちを集めて童話口演に夢中となる。子らの歓びがわが喜びとなり立ち直る。
いつの間にか、わが家のバラック住宅がミニ児童館となり、子ども会「山彦会」が誕生。また、児童文化活動やBBS運動に熱中する。
−1947(昭和22)年 18歳
重病となった父に代わり、一家の生計を支えるため高校3年の一学期で中退、繊維会社に就職したが、2年後大阪出張所に転勤。児童文学誌「ペチカ」の会員となり、児童文学者小川太郎氏の指導を受ける。大阪勤務中、夜間高校に進学、単位不足を通信教育で補い、無事一年間で卒業。
−1954(昭和29)年 25歳
大阪府立社会事業大学に入学。二年間、石井十次記念社会会館を拠点として社会福祉研究部サークルメンバーと共に、学生セツルメント活動に参加する。卒業後郷里に帰る。子ども会「山彦会」は3つの町内会の組織へと拡大。町内会連合会の集会所がミニ児童館となり、会員120名となる。
−1956(昭和31)年 27歳
徳島に帰郷後、恩師美馬昇先生が経営する生光専門学校で一年間教鞭をとる。
−1957(昭和32)年 28歳
社会福祉法人徳島県社会福祉協議会に就職。同年「心の里親」運動開始。翌年「老人大学」を立ち上げ、「子ども会育成みつばち運動」「青年ボランティアの養成と遊び場づくりの運動」を開始するなどボランティアの発掘と援助をしながら事業拡大を図る。
また、昭和21年から開始されていた子供民生委員活動の強化にも力を注入。これらを総合したシステムとして誕生したのが昭和37年の「善意銀行」である。このシステムは老人大学と共に、急速に全国へと普及した。
−1963(昭和38)年 34歳
社会福祉法人全国社会福祉協議会へと転職。全国450カ所に普及した善意銀行の組織化と進化のため全力投球する。5年後、善意銀行のボランティアセンター化に着手。1977年にボランティアセンター運営費の国庫補助決定を追い風にして、市町村、都道府県、全国の各段階のボランティアセンターの充実とネットワーク強化を図った。その結果、不毛の地といわれたわが国にボランティア活動を定着させることに成功した。
全国社協には22年間在籍したが、その間、明治学院大学社会学科を卒業。地域組織部副部長、全国ボランティア活動振興センター所長を歴任。在任中、ボランティア活動の普及とボランティアセンターの充実のため、全国各地を東奔西走した。また、同僚の協力を得て、遊び場づくりの運動、ボランティア保険の開設、福祉協力校の普及、コーディネーターの養成、おもちゃの図書館の普及、東南アジア難民救済活動などの充実した年月を送る。また、22年間に2つの専門学校と4つの大学で、非常勤講師を引き受け、授業を行う。
−1970(昭和45)年 41歳
オランダのハーグで開催された国際社会福祉会議に出席。帰途オランダ、イギリス、スウェーデン、スイス、イタリア、フランスなど、西洋各国の福祉・ボランティア事情を視察した。
−1971(昭和46)年 42歳
沖縄県日本国復帰前年、日本政府技術援助として沖縄本島・宮古島・石垣島の各地を訪問し、地域福祉・ボランティアについて巡回指導する。
−1979(昭和54)年 50歳
東南アジア難民救済のボランティア派遣ルート開発のため、タイ国境のカンボジア難民キャンプを視察、バンコクの大使館内に日本ボランティアセンターを開設する。
−1981(昭和56)年 52歳
社団法人青少年育成国民会議の第一回青年海外ボランティア事情視察団のコーディネーターとして、団員(障がいをもつ青年を含む)27人と共に、デンマーク、西ドイツを交流視察する。
東京都主催の高校生洋上セミナーの講師として、400名の高校生と共に、グアム、サイパンを訪問し、親善交流する。
−1985(昭和60)年 56歳
淑徳短期大学の専任教授に就任。ボランティア情報室開設。同大学の建学精神「共生」のフィールドワーク場として、香川県綾上町の山里に「共生の里」を開設、3年間経営する。大学所在の東京都板橋区において学生や区民たちと共に「福祉の森づくり運動」や「骨髄バンクを支える運動」などを展開。NGOアジア・レインボーの会会長として、本学学生をはじめ全国の会員と共に引率者としてフィリピンへ4回渡る。板橋区地域福祉計画副委員長、板橋区社協地域福祉計画委員会委員長の役を果たす。日本福祉教育・ボランティア学会設立に協力。第一回の学会を本学で開催、基調講演を行う。
−1995(平成7)年 66歳
福山平成大学経営福祉学科教授に就任。ボランティア情報室を開設し、専任のコーディネーターを配置。学科長就任の折、カリキュラム改正に当たって1年次必修科目として「ボランティア活動論」、3年次に選択科目として「ボランティア・コーディネーター論」を新設。福山市が中核都市となり社会福祉審議会を新設、初代の委員長として介護保険制度解説整備に尽力した。びんごNPOサポートセンターづくりに協力、実現を果たす。
−2000(平成12)年 71歳
全国ボランティア・フェスティバルが徳島で開催されるのを機に、福山平成大学を退職。郷里徳島に帰り「ボランティア研究所」を開設。子供民生会活動の再生に相当する十代世代参画社会活動としてTIC運動を提唱。徳島県社協・とくしまボランティア推進センターを拠点として推進する。
−2007(平成19)年 78歳
久留島武彦文化賞受賞。
−2010(平成22)年 81歳
徳島新聞賞社会賞受賞。
−2011(平成23)年 82歳
日本福祉教育・ボランティア学習学会名誉顧問に就任。
−2012(平成24)年 83歳
「共創の里」主宰、TIC運動推進委員会委員長、おもちゃの図書館全国連絡会相談役、上勝町「山の楽校」顧問、NHKコミュニティースクール講師、全国VYS連絡協議会相談役として活動を続けてきたが、東京にて入院、闘病の末、10月13日逝去。