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木谷宜弘資料館

主な業績

全国社会福祉協議会時代

ボランティアセンター 昭和50(1975)年

ボランティアセンターは、ボランティアをしたい人と、してほしい人を結びつけるコーディネートを主な役割とし、ボランティア活動普及のために各種事業を開催するほか、ボランティア保険の手続きや寄付の受付等も行っており、全国の市区町村社会福祉協議会に設置されている。このボランティアセンターは、善意銀行の流れをくむものであり、その経緯は次の通りである。

昭和39年度から毎年、全国善意銀行代表者連絡協議会が開催され、需給調整を中心とした善意銀行機能の限界が明らかになり、善意銀行のさらなる発展が模索された。
そこで、昭和42年、全社協・ボランティア活動研究会は「ボランティア活動を育成するために-ボランティア育成基本要項-」を発表。この中には、ボランティアの理念と育成の方向ならびに善意銀行・ボランティアビューローの仕組みと運営についての基本的在り方が示された。

翌43年から全国会議も「全国ボランティア活動推進協議会」と改称し、善意銀行からボランティアセンターへの合意が成立。国に対し運営補助費の申請を行い、昭和50年に市区町村社協奉仕活動センターに国庫補助が開始された。同年、全社協に「中央ボランティアセンター」設置。
52年には「全国ボランティア活動振興センター(中央ボランティアセンターから改称)」が設置され、木谷先生が所長となった。
こうして全国、都道府県、市区町村の各段階にボランティアセンターの整備が進み、このネットワークの完成により、各段階の連携が図られ、共通課題への取り組みにも効力が発揮されるようになった。

ボランティア保険 昭和52(1977)年

ボランティア保険はボランティア活動中に起きた事故等を補償する保険であり、その加入者数は全国で150万人を超える。木谷先生が昭和40年代から保険の開発に取り組むこととなったきっかけは、昭和40年に全国遊び場運動を始めた頃、遊び場において幼児の悲劇的な事故が起こったことにあり、保険会社の協力のもと新種の賠償保険「遊び場保険」を開設した。
その後、ボランティア活動にも事故が起こる可能性はあり、「ボランティア保険」を開設。実際にボランティア活動中に事故が起こり裁判になったが、ボランティア保険に第三者の事故による賠償金補償がついていたため、賠償金は保険から支払われた。
これを契機にボランティア保険の加入者が急増、その必要性を再認識することとなった。

学童・生徒のボランティア活動普及事業 昭和52(1977)年

学童・生徒のボランティア活動の様子

学童・生徒の頃からボランティア活動を進めることで、人の交流や福祉の関心を育むことを目的として実施されている事業。木谷先生が徳島県の子供民生委員活動を想起して原案づくりに携わった。
厚生労働省が所管し、ボランティアセンターが実施主体となっている。
昭和52年度のスタート時は23都道府県社協だったが、翌年には全都道府県へ普及。年毎に指定校(基本的に3年間)が増え、2000年以降は16,000校を超えている。
この事業の源流は昭和21年に徳島県で創始された子供民生委員制度と昭和25年に神奈川県で開始された福祉教育研究制度である。一般的には「ボランティア協力校」「福祉協力校」と呼ばれている。

おもちゃの図書館 昭和56(1981)年

障害の有無に関わらず子どもたちがおもちゃを通して遊び、交流し、育ち合う場。
昭和56年の国際障害者年を契機に東京都三鷹市に第一号が誕生し、その後全国500カ所以上に展開され、現在も各地で開催されている。
ボランティアにより運営され、設置は社協、行政、保育所、学校、ボランティアグループなどで月1?2回の開催が多く、常設館もある。

難民救済活動 昭和54(1979)年

カンボジアの国内動乱により100万人の難民がタイの国境付近に避難することとなり、木谷先生は外務省が編成したカンボジア難民キャンプ視察団の一員として、タイのカオイダンとサケオの難民収容キャンプへ派遣された。
現地には世界各国からボランティアが集まっていたが、心身ともに傷ついた人々の姿に触れ、ボランティアの数が不足していることを痛感。
任務のひとつである、日本からのボランティアが現地に参加できるルートづくりに取り組んだ。

NGO活動活発化の契機となった難民救済活動の様子。

これは救援活動を担当するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が、ボランティア活動は事前通告による組織的参加に切り替えたため、日本もその体制をつくる必要があったからである。
そこで、首都バンコクの日本大使館に日本ボランティアセンター(JYC)を設立。
その結果、日本から多くの若者が現地入りし、難民救援活動に携わった。このカンボジア難民救援の出来事は日本のNGO活動活発化の契機となったといえる。